アラフィフ女子の終活ブログ

40代後半独身女子の、終活という名の日々の記録

何者にもなれてない私がパワハラで訴えられた件

 今年に入って早々、人生初の経験をした。「パワハラで訴えられる」だ。字面だけでもかなりのインパクトだ。まさか自分がパワハラした方として訴えられるとはこれまで夢にも思っていなかった。

 

ざっくり経緯を説明。

昨年の9月から、私は新人2人の研修を受け持つことになった。Aさん(50代)&Bさん(30代)だ。2人とも同じように研修を行った結果、Bさんは1ヶ月もたたず独り立ちしたが、Aさんは3ヶ月たっても仕事を覚えられなかった。しかし、いつまでも面倒を見ているわけにもいかないので、年末年始の業務が一段落する2月からは、独りでやってもらうつもりでいた。その矢先、1月。「私を認めてもらえない。これはパワハラだ」と、Aさんが私を訴えた。訴えがあったので職場は対応した。双方および第三者から調査を行い、結果、パワハラはなかったと決定された。Aさんは予定通り2月に独り立ちしてもらい、私も通常業務に戻った。今現在は、表面上は何事もなかったかのように流れている。

・・・。

本当にびっくりした。寝耳に水。晴天の霹靂。唖然としたし何が何だかわからなかったし怖かった。なかなか仕事が独りで出来るようにならないAさんに対し、私なりに考え、接し、ときに方法を変え、環境を変えながら、そりゃもう必死に教えた。新人教育自体はこれまでも何度もやってきたから、その経験もフル活用した。それこそかなり手厚くフォローしてきたつもりだった。それが「仕事をまかせないパワハラ」と呼ばれてしまったのである。

驚いたのち、私はものすごく怒りを覚えた。これだけやってあげたのにパワハラ? できない自分を棚に上げて? 私に非がなかったと公式に認められたので余計にそう思った。許せないし二度と関わりたくない、貴方なんかにはもう何も教えない。

 

しかし数日後、冷静になったときふと思い直した。
「教えてあげた」「貴方なんか」。
私は完全にAさんを下に見ていた。彼女の能力がこれまでの新人さんに比べてかなり劣っていたことが、拍車をかけたのだろう。その気持ちが態度に少なからず出ていたことは容易に想像できる。時間がたてばたつほどに。

 

今回は、パワハラはなかったと認定されたから良かったものの一歩間違えば結果は違っていたかもしれない。本当に怖い話だ。そして何より、良かれと思ってやったことが自己満足でしかなかったということがショックだった。

若い頃、得意げに色々と教えてきて、挙げ句、勝手にキレ出した上司や先輩たちを思い出す。あのときは相手を訴えこそしなかったけれど、かなりゲンナリとしたものだ。まさに今、自分がそっち側になりそうな事態である。これも歳をとるということなのか。

ちなみにそのAさんだが、実は同じようなケースで数人と揉めた過去がある、曰く付きの人物であった。できればそういう人に今後はめぐり合わないことを願いたい。

 

最近の不安、ずっと感じている不安

生きがいを見つけたいのなら、仕事こそがそうあるべきだろう。

若い頃の私なら、そう思ったに違いない。1日の1/3以上、ややもすると半分以上の時間を仕事に費やしているのだ。それが生きがいであるべきだし、またそれを目指して然るべきだと。実際そう思っていたから、好きなことを仕事にしようと頑張ったし、そうじゃないときも目標のために頑張った。

けれど、頑張ることが体力的にキツくなる年齢になると絶対だったその考えが変わった。仕事は「生きがいという目標」から「収入を得るための手段」になり、手段として重視するは体力と時間の温存値になった。体力的に無理はないか、余暇は充分にあるか。働けなくなったときのことが頭をよぎったとき、仕事に対する価値観も変わった。

現在は、体力的にも時間的にも余裕のある仕事をしている。その分、給与や仕事のやり甲斐は減ったが、替わりに節約&趣味充実で満足度はそれなりにある。

しかし、どちらが幸せなのかと聞かれると正直判らない。がむしゃらに働いていた頃は、休む暇もなく人生に悩む余裕もなかった。余暇を手に入れた今は暇さえあれば悩んでいる。最近は特に、物価高や不穏な社会情勢などで将来への不安が募るばかりだ。そんなに悩むのならやはり、四の五の言わずひたすら働くべきなのかとも思う。

何者にもなれず、ただ悶々と歳だけをとっている。

中級の壁に負けた韓国語勉強

34歳で始めて7~8年続いたものの、外国語学習で大抵の人が苦しむ中級の壁を、ご多分に漏れず越えられず、嫌になって止めてしまったのが韓国語だ。
 
きっかけは、K-POP。言わずもがな。アイドルだ。
推しの会話を字幕なしで楽しみたい。言わずもがな。そんな理由だ。
 
最初のうちは順調だった。地元の小さなスクールに入り、基本的な読み書きを習得。その後は独学でコツコツ勉強した。学生の頃は外国語の科目が最も苦手だったけど、推しパワーというのはすごい。彼らの言葉を理解したい一心で、毎日毎日飽きずに勉強した。そうして自分で言うのもなんだがメキメキと上達。韓国に行ってお店の人と韓国語でやり取りできるようになるまでに上達した。そう、中級まではものすごく順調だったのだ。
 
私は、独学で勉強する方法の1つとして韓国語の試験を定期的に受けていた。その試験の上級レベルに少し手をかけたところから、悪夢は始まったのである。何度、試験を受けても合格できない。しかも結果には波があった。次第に自信がなくなり、基本的な語彙や文法も怪しくなる始末。これではダメだと勉強のやり方を変えてみたり、少し休んでみたりもした。でもダメだった。そうして、勉強が苦痛になっていることに、ある日、気がついた。始めたころは韓国語を勉強するのが楽しくて仕方なかったのに。
 
マイクを鉛筆をそっと、置きました。
ついでに、推しからもそっと、卒業しました。
 
いつまでも好きであり続けるということは、実はとても忍耐が必要なことなのだと知った。
一生涯の趣味って可能なことなのか?と、ライフワークを見つけようと思っていることへのそもそもの疑問。
 
でも、辛い発見ばかりでもなかった。外国語を学ぶ尊さの発見は、私にとって本当にかけがえのない気付きだった。「言語」というものが持つ奇跡性と「他者理解」。自分の世界が間違いなく広がった経験である。
 
たとえライフワークとは成りえなかったとしても、ちょっとやってみることで得られるものは必ずあるのだろうなと思った。

老後資金のために始めたこと

自分の老後について考えるようになってから資産運用にも興味を持った。「老後2,000万円」と言われた時分、今のままでは絶対に無理案件だったからである。転職が選択肢にないなか、現在の収入で貯蓄を目標額に近づけるためにはどうしたらよいか。考えた結果、貯蓄にまわしていたお金の一部を運用にまわすことにしたのだ。

といっても投資の知識はゼロだし余裕資金があるわけでもない。初めから株式投資はハードルが高すぎる。そこで始めたのが、ポイントでの積み立て投資信託だった。実質ゼロ円・ほぼ他人まかせ。それが私の資産運用デビューである。2020年3月、41歳のときだ。

あれから3年たって、2023年2月、44歳現在。今は毎月1,000ポイントの積み立て投信を継続しているのと、株をいくつか所有している。資金は少しずつ増やしてきた。結果、同じ金額を銀行に預けるよりは遙かに良い成果を得ている。が、本当のところ、今の自分のやり方が正解なのかどうかさっぱりわからない。

唯一言えることは、訳がわからなくなって全財産を失うことだけは避けよう、ということ。始めた当初は、ネット上でお金だけ動く状況があまりにもゲーム感覚だったし、3年たった今もその辺りがフワフワとしている。常に自分の状況を俯瞰できるようにありたいと思う。言うのは簡単だ。そうできるよう、記録としてここに書き留めていこうと思う。

病気に保険はきいても病気予防に保険はきかない

先日、3か月に一度の歯医者へ行った。検診&クリーニング目的だ。そしてこれが、保険がきかないやつだ。なのでお会計が11160円。いちまんいっせんひゃくろくじゅうえん。オゥ。

毎回その料金を承知で行っているのだが、毎回高いなと思う。でも、保険内の歯科健診だとどうしても物足りないので、やっぱり次も行くのだ。

病気になると治療するのにお金がかかる。でも、ならないよう検診行ったりケアしたりするのもまたお金がかかる。生きるのってお金がかかるのだなとしみじみ思う。どこまでどれくらい使うのかが考えものなのだ。

本格的に自分の健康が気になりだしてからは、「予防」にけっこうなお金を使うようになった。今回の歯医者もそうだが、こちらも数か月に一度のペースで通っているカイロプラクティック。やはりけっこうなお値段だ。そうしてこれらは、行かなかった場合に自分がどれだけ不健康になったかは永遠にわからないのだ。その、結果がわからないものに対して、決して安くない金額を払っている。もはや精神安定料なのでは?とも思う。

病気だったら治療してここまで治ったよ、という結果があるのでわかりやすい。最近では、どこまで治療するかどこまでお金を出すかも患者の意思が尊重されるようになってきている。

だったら、結果がよくわからない予防に対してお金を使うよりその分貯めて、健康保険も抜けて(払わないで)その分貯金して、病気になったときに使えばいいのでは?とすら思ってしまう。

けれども。

病気になって失う元の体や、治療に費やした時間は戻らない。それこそ、いくらお金を使っても手に入れることはできないものだ。それならやはり、予防の方に金をかけてもいいのでは?と自分に言い聞かせている。

来月末は、2年に1度の胃カメラ検診だ。

大人の学びを続けるには

「生きがい」と呼べるような何かを見つけるために、興味の有無にかかわらず何でもやってみようときめた今年。

早速、年明けに始めて、早速、ひと月で終わったものがある。「漢方」の勉強だ。

実は漢方は以前より興味があった。持病のことでいろいろと調べるたびに漢方薬の名前が出てきたからだ。「六君子湯」という。対処療法とは違う東洋医学の考え方に触れ、これは、と思うようになった。漢方を学ぶことは病気にならないカラダ作りに繋がるかもしれない。それこそ、老いていくこの先の生きがいとなるような学びになるのではないか。やめてしまった韓国語よりもずっと‥。

だから、2023年のマイテーマ「生きがいを見つける」を決めたとき、漢方の勉強はすぐに思いついたことだった。

しかしそうは言っても医学の知識などまるでないド素人。まずはきっかけである。いきなりスクールや通信教育などとはハードルが高すぎるしお金もかかりすぎる。とりあえず自分で勉強できるテキストを探した。加えて、目先の目標がある方が頑張れるので、検定や資格などについても調べた。そして、薬膳・漢方検定合格という目標設定と、入門書的なテキストを購入。それが2022年末である。

ノートも準備し勉強を始めたのが、2023年1月4日。初日は15分ほどで、テキストを読み自分なりにまとめてネットで調べるなどした。

そうして続けること1週間。なんと、早くも飽きてしまったのである。

これには自分でも大変にショックを受けた。私は新しいことを学ぶことを大抵は面白がれる方だ。自分の知らない世界の扉を開けるのはとてもワクワクする。

だから、こんな筈はないと無理矢理にでも勉強を続けた。けれども、初日こそ感じていた興奮を取り戻すことはなく、面白みもほぼ見いだせず。結果、1ヶ月もせずにこの挑戦は終了してしまった。

そう簡単に生きがいなんて見つけられない。それはそうだ。趣味がないとぼやく人も多いなか、人生を捧げられるような物事に易々と出会えるわけはない。それに出会うために「とりあえず始める」が今年のテーマなのだから。

次、行こうと思う。

けれども一方で、私は一つ、自分に関する知識を今回の失敗を通して得た。
続かなかった原因。1つではないだろうけれど、アウトプットする場がなかったのが一番の要因なのではないかと思う。

語学の勉強では、学習初期段階でも自分で文章を作り、話すというアウトプットができた。アイドルにはまっていたときは、ライブに行って推しを浴びるという能動的行為があった。今のオタ活は、そもそも創作活動がメインである。仕事でも、実践は大前提だ。
新しい知識は、得るだけでなくそれを何かの形で外に出さないと、しかも早い段階でないと、私の場合は習得へとは続かないのだろう。

漢方の勉強も、食生活や物事の捉え方等々、その知識を還元できるところは多々あった筈だ。というか、そのために勉強を始めたのだ。しかしながら今回は、その方法・発想にたどり着く前に心が折れてしまった。

次は、アウトプットを意識した学びを心がけようと思う。

 

鬼滅の刃を見てきた

鬼滅の刃」の映画を見てきた。
映画決定からずっと見たくて楽しみにしていて、公開後ツイッターで流れてくる感想も見て、もう行きたくて行きたくて、この日を生きる糧に過ごしてきたのです、ここ数か月。

遊郭編10話は全編にわたってテレビ初見時から映画クオリティーだと思ったから、見るならiMAX(地元にはない)で見たかった。入場者特典の限定「上弦集結本」も絶対手に入れたかったので、公開後あまり間を置かないで行きたかった。加えて、心置きなく映画に没頭するには、混んでるであろう土日は避けたかった。
というわけで、平日の午前中、有給休暇とってわざわざ電車に乗って遠出してまで見てきたのです。

 

仕事=生きがいだった頃の私の辞書には「有給休暇」なんて言葉はなかった。けど今は違う。趣味充実に生きる今の私の辞書には「休日出勤」なんて言葉はない。きっとどちらも間違ってはいない。


ちょっと話がそれたけど、映画の感想は一言で表すなら「上弦がかっこよすぎた」です。

宇随さんと妓夫太郎の最後の戦闘シーンはやっぱりすごい迫力で、特に妓夫太郎がテレビで見るより何倍もカッコよかった。宇随さんが復活したことで本気になったときの声のトーンがそれまでのちょいユルなトーンと違って渋くて、鬼気迫る迫力がまた良い。
次、童磨。陸だったときの登場シーンからもう不気味綺麗だし、上弦会議のおちゃらけ具合も教祖に戻るときもまさにサイコパスだし。気付かないうちに心を持っていかれる感。声優に詳しくない私でも知っている、宮野さんの最高演技よ。
そして猗窩座。何といっても猗窩座。無限城に呼ばれて上弦ズといざこざして退場するまでずーーーーっとスン顔かっこよ。体が良い・顔が良い・声が良い。この猗窩座を四方八方から大迫力で見る贅沢よ。
その無限城シーンも、大画面で見られたからこそのスケール感ハンパなかった。空間の広がり・奥行・スピード、そして世界観。本当にアトラクションに乗ってるみたいな浮遊感さえ感じて、あれこそまさにiMAXで見るべき価値あるものだった。

というか、あれで見てしまうと、後日テレビ放送開始後に小さな画面で見たときのしょんぼり感がハンパない気がして怖い。

 

そう。そうなのだ。

戦闘シーンと鬼の出る無限城シーン以外は、私的にはiMAXどころかテレビ画面でも十分な感じだったのだ、正直。高い交通費と割高映画料金を払ってまで見るべきだったか否かは正直、判断が難しい。ぐぬぬ‥。

でも、「有休とって都内まで足を運んで映画を見た」という行為自体がストレス解消になるわけでもあり、そこも含めてやっぱり行って良かったと思う。エンタメは最高だ。

 

無事に手に入れた上弦集結本。よき。