34歳で始めて7~8年続いたものの、外国語学習で大抵の人が苦しむ中級の壁を、ご多分に漏れず越えられず、嫌になって止めてしまったのが韓国語だ。
きっかけは、K-POP。言わずもがな。アイドルだ。
推しの会話を字幕なしで楽しみたい。言わずもがな。そんな理由だ。
最初のうちは順調だった。地元の小さなスクールに入り、基本的な読み書きを習得。その後は独学でコツコツ勉強した。学生の頃は外国語の科目が最も苦手だったけど、推しパワーというのはすごい。彼らの言葉を理解したい一心で、毎日毎日飽きずに勉強した。そうして自分で言うのもなんだがメキメキと上達。韓国に行ってお店の人と韓国語でやり取りできるようになるまでに上達した。そう、中級まではものすごく順調だったのだ。
私は、独学で勉強する方法の1つとして韓国語の試験を定期的に受けていた。その試験の上級レベルに少し手をかけたところから、悪夢は始まったのである。何度、試験を受けても合格できない。しかも結果には波があった。次第に自信がなくなり、基本的な語彙や文法も怪しくなる始末。これではダメだと勉強のやり方を変えてみたり、少し休んでみたりもした。でもダメだった。そうして、勉強が苦痛になっていることに、ある日、気がついた。始めたころは韓国語を勉強するのが楽しくて仕方なかったのに。
マイクを鉛筆をそっと、置きました。
ついでに、推しからもそっと、卒業しました。
いつまでも好きであり続けるということは、実はとても忍耐が必要なことなのだと知った。
一生涯の趣味って可能なことなのか?と、ライフワークを見つけようと思っていることへのそもそもの疑問。
でも、辛い発見ばかりでもなかった。外国語を学ぶ尊さの発見は、私にとって本当にかけがえのない気付きだった。「言語」というものが持つ奇跡性と「他者理解」。自分の世界が間違いなく広がった経験である。
たとえライフワークとは成りえなかったとしても、ちょっとやってみることで得られるものは必ずあるのだろうなと思った。