アラフィフ女子の終活ブログ

40代後半独身女子の、終活という名の日々の記録

ノーブラノーメイク宣言。

ノーブラノーメイク宣言。を公にしてはいないが、ごく近しい同僚にだけ打ち明けている。2年ほど前からだ。ただしきっかけは持病の胸焼けをなんとかしたいというなんとも悲しい身体的理由。崇高な信念やフェミニズムといったクールな理由では、全然ない。

20年近いお付き合いとなる胸焼けが悪化したのは、ちょうどコロナ渦のときだ。元より、良くなったり悪くなったりを繰り返していたのだけれど、その頃にまた症状が出た。1日中、胸が焼け付くような不快感があり日常生活もままならない程。あまりにも耐えがたくて、ある日、なかばヤケクソブラジャーしないで出勤した。胸の締め付けをなくしたら少しはラクになるかなと思って。

結果、胸焼けの方は、正直あまり変わらなかった。だがしかし、あまりにも居心地がよかったのです。

 

日中のブラがずりあがってくる(←貧乳ゆえに) 気持ち悪さ、なし。
肩ひも食い込みによる肩こり頭痛、なし。 
ワイヤーがあたる痛みも、皮膚かぶれも当然、なし。

なんて快適なんだろうか。その日、同僚にそっと「私、実は今日、ノーブラなんだ」と告白したら「・・・まったく気づかなかった」と言われ、決めた。「私、ブラジャーから卒業します」

 

幸運なことに私は貧乳である。加えて、当時、季節は冬で厚着の時期だった。すれ違う人や一緒に働く人が目のやり場に困ってしまう可能性は皆無。というこで次の日も、その次の日も着けずに出勤。念のため何人かの同僚に確認もしたが特に違和感は無いようだった。というか、体型にもよるだろうけど、人はそこまで他人に興味が無いということがわかった。 誤解の無いよう補足しておくと、夏の薄着の季節や体のラインが出るような服装の時は、 社会のために着用するようにしている。

そして同じ時期同じ理由でメイクもやめた。朝から具合が悪く、とても化粧なんて出来なかったのだ。結果、これまた居心地の良さを知る。化粧をしていた頃、私は、日に何度も化粧が崩れていないかが気になっていた。特に、マスク下の崩れや夕方になると出現する目尻のしわのヨレ。当然それは、ノーメイクになった途端に気にならなくなった。人の目を気にしてメイクしていたはずなのに、することで人の目が気になっていたことを知る。 素顔を晒すことにはすぐに慣れた。素顔に自信があるわけではない。シワもシミも40年分ある。けれど、これもノーブラと同様、人はそこまで普段顔を合わせている他人様の顔にあまり興味はないのだと知る。

メイク用品はあらかた処分した。けれど「おめかし」に興味を失ったわけではないので、お気に入りの口紅ぐらいはとってある。


10年前の私ではとても考えられなかったノーブラノーメイク。その頃は、私にとって自分を「良く」見せることはとても重要だった。
今は「居心地よく」居ることが、私にとって最も重要だ。見た目は二の次である。だって体が辛いんだもん。仕方がない。
10年後は何が最優先になっているのだろうか。「息を吸うこと」とか? 死ぬのか、私?

 

本当に、生きていくのは大変だ。